館長のつぶやき
館長のつぶやき~「佐藤春夫の少年時代」(47)
下村悦夫と富ノ澤麟太郎(一) もう少し大正13年の徐福墓畔と春夫らの文学仲間の存在を追ってみます。 人家が増え、新開地になるにつれて、徐福の墓の境内は一時わずかに30坪ほどになったといいますが、大正5年に熊野地青年会の幹 …
館長のつぶやき~「佐藤春夫の少年時代」(46)
思索の場としての徐福墓畔(二) 春夫に「恋し鳥の記」(大正14年7月「女性」)と題した文章があります。新開地となった徐福墓畔、徐福町と名づけられた辺の変わりように、はなはだ辛辣な目を向けています。 明治42年「軽便(けい …
館長のつぶやき~「佐藤春夫の少年時代」(45)
思索の場としての徐福墓畔(一) 熊野の地で方士徐福が「徐福さん」と慕われ始めたのは何時の頃からでしょうか。とにかく「徐福の墓」があるのは、熊野新宮だけだということで、観光の目玉の一つになっていて、いまではJR新宮駅前には …
館長のつぶやき~「佐藤春夫の少年時代」(44)
先輩・中村楠雄のことほか すでに触れたように、前回紹介した写真の主のひとりの中村楠雄は、春夫にとっては「お下(しも)屋敷」の、大前俊子の姉の家の集まり仲間。先輩の「優等生」というところ。やがて大前俊子を妻として迎えるので …
館長のつぶやき~「佐藤春夫の少年時代」(43)
春夫の「自我意識」の象徴―「佐藤春夫殿下小伝」 ここで、落第した春夫の、以後の新宮中学生活に戻ってみます。 明治41年3月21日、新宮中学校内で茶話会形式での謝恩会が開かれ、23日には第3回卒業式が挙行されました。30名 …
館長のつぶやき~「佐藤春夫の少年時代」(42)
明治39年の与謝野寛らの来訪 第1次「はま(浜)ゆふ」は、現在7号(明治39年1月)以降しか残されていなくて、21号で終刊したようですが、17号からは、西村伊作の王子ケ浜風景の画が表紙を飾り、裏表紙にも伊作の別々の挿絵が …
館長のつぶやき~「佐藤春夫の少年時代」(41)
「俳句」から「短歌」へ―熊野新宮の文化状況の変遷 文学に関心を示す若い学徒たちにとっては、春夫が「僕は短歌から出発した」と常に口にしていたということは、当時の新宮の「文化状況」を考えてみることによって、その意味を納得する …
館長のつぶやき~「佐藤春夫の少年時代」(40)
春夫の沖野作品への違和 沖野岩三郎の「自転車」と言う作品には、春夫は否定的でした。父親宛ての書簡(推定年・大正7年と全集では採られているが、内容を勘案すれば大正6年が正しい・8月2日)で、この作品には人間が描かれていない …
館長のつぶやき~「佐藤春夫の少年時代」(39)
沖野岩三郎、春夫の家族を描いた短編「自転車」 明治9年に日高郡寒川(そうかわ)村(現日高川町)に生まれた沖野岩三郎が、明治学院で学んだ後、キリスト教新宮教会牧師として赴任してくるのは、明治40年6月、約1年前、夏期伝道で …
館長のつぶやき~「佐藤春夫の少年時代」(38)
奥栄一との交友(二) 後年、春夫は「悪女礼讃」という文章(昭和33年5月「婦人画報」・全集未収録・「熊野誌」60号で紹介)で、まず悪女の定義の難しさを手始めに、「悪女とは強烈な個性に生きる婦人」とし、「本当に生きる彼女ら …













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