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新着記事

佐藤春夫の少年時代

佐藤春夫の少年時代(8)

父親の系譜―「懸泉堂(けんせんどう)」(4) 春夫にとって「懸泉堂」は、父祖伝来の地、そこを歌った作品の代表としてまず挙げられるのは「故園晩秋の歌」です。散文詩風な表記で、文語の長歌形式を取り、短歌形式の「反歌」が添えら …

佐藤春夫の少年時代(7)

父親の系譜―「懸泉堂(けんせんどう)」(3) 「砧」に描かれているのは、幕末に起こった世直しのための蜂起、天災や飢饉で困窮する庶民を見るに見かねて起こした大坂奉行与力であった大塩平八郎の乱、その余波が熊野に居る椿山の身を …

佐藤春夫の少年時代(6)

父親の系譜―「懸泉堂(けんせんどう)」(2) 豊太郎の父鏡村(有伯、又百、諱(いみな)は惟貞)は、「緘口勿言天下事 放懷且讀古人書」という詞を座右の銘にしていたと言います。「文久元年、学成りて郷に帰り未だ年久しからざる或 …

佐藤春夫の少年時代(5)

父親の系譜―「懸泉堂(けんせんどう)」(1) 春夫の父豊太郎が書いた「懐旧」という作品は、「蕙雨山房主人稿」と表題に記され、春夫の手によって2度刊行されています。最初は昭和8年、豊太郎の古稀の賀に際してのもので、活版で1 …

佐藤春夫の少年時代(4)

春夫の誕生(4) 春夫が幼年時代を回想した「わが生ひ立ち」と題した文はふたつあります。大正8年7月8月、大阪朝日夕刊に連載されたもので「幾つかの小品から成り立つ幼年小説」と副題が付されたものと、大正13年8~10月の「女 …

佐藤春夫の少年時代(3)

春夫の誕生(3) 春夫の回想文などには、「火事で焼け出されて」熊野病院に転居を余儀なくされたという記述がほとんどないところから、すでに熊野病院内に転宅してから、生家が焼失したことになります。「五つまで住んでゐたその家は、 …

佐藤春夫の少年時代(2)

春夫の誕生(2) 明治22年の大洪水は、十津川水系の山塊が大きく崩壊、本宮神社が流され、奈良県十津川村も大被害を被って、多くの住民が北海道移住を余儀なくされた大惨事でした。未開の地であった北海道での開拓の労苦で「新十津川 …

佐藤春夫の少年時代(1)

この度、佐藤春夫記念館館長・辻本雄一氏による「館長のつぶやき~佐藤春夫の少年時代」をハイム文芸館に転載させていただくことになりました。普段から記念館ホームページをご覧の方にはお馴染みの記事ですが、そうでない方や見逃した方 …

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