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野口英世

野口英世の遺功を米国に訪ねる(1)

1.アメリカへの道のり 野口英世のアメリカでの活躍ぶりについて書いているうちに、筆者は「英世が過ごした場所を訪れてみたい」と、強く感じるようになった。 2009年5月中旬、次の連載テーマであるジョン・D・ロックフェラーの …

野口英世とアメリカ(12)

10.人生の不思議 英世の人生を振り返ると、「人間万事塞翁が馬」という言葉が頭をよぎる。彼が、1歳半で火傷をしたことは、大変な悲劇だ。母シカは、一生自分の不注意を責め続けた。「このような左手では、鍬を握れない。百姓はでき …

野口英世とアメリカ(11)

9. 日本の医学会への反発 もし、英世が日本に止まっていたならば、帝大卒でなく、平民出身であるが故に、十分な研究ができなかったであろうし、また優れた論文を書いたとしても、正当な評価を受けることはなかったであろう。それを英 …

野口英世とアメリカ(10)

8.アメリカでの評価 英世の伝記には、アメリカでの生活はあまり詳しく書かれていない。彼に関する伝記が多く書かれた時代には、アメリカに調査に行くのが困難であったことが、その理由であろう。 私は、多くの日本人の例からして、ア …

野口英世とアメリカ(9)

<strong>7.</strong><strong>メリーとの結婚</strong> 1911年4月10日、野口英世は、メリー・ダージスと結婚した。この経緯および、英世の …

野口英世とアメリカ(8)

6.  ロックフェラーと英世の出会いはなかったのか 英世はロックフェラー医学研究所において、看板研究者的な存在にまで上りつめていた。それだけの実績を生み出していたし、所長のフレクスナーからは、愛弟子として扱われていた。私 …

野口英世とアメリカ(7)

<strong>5.野口</strong><strong>英世とジョン・ロックフェラー</strong> 英世は1903年秋、念願の欧州留学のチャンスを得る。行き先は、デン …

野口英世とアメリカ(6)

4.ペンシルベニア大学にもぐりこむ 野口英世は「なんでもしますから、助手として雇ってください」と頼みこむが、フレクスナーは、「そんな約束はしていないし、自分1人で決めることはできない。申し訳ないが、日本に帰ってくれ」と言 …

野口英世とアメリカ(5)

3.フィラデルフィアへの道のり 野口英世は、1900(明治33)年12月5日、客船アメリカ丸で横浜港から日本を離れた。英世は、3等船客であったが、船内で、駐米日本大使館に赴任する小松緑書記官と親しくなり、1等船客と同等に …

野口英世とアメリカ(4)

清国での勤務でも、多額の給料は現地の歓楽街で使い果たし、貯えはできなかった。「このままでは無一文で、日本に帰ることになってしまう」と反省し、滞在期間を延ばしてもらうことにする。しかし浪費癖は直らず、かえって料亭への借金を …

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